



幽篁堂ストーリー
YUKODO History
幽篁堂
幽篁堂(ゆうこうどう)で、こころ静かなひとときを。


明治期に現在のグランドプリンスホテル新高輪の地に建てられていた旧北白川宮邸。
戦後世田谷区玉川に一度移築されていたが、縁あって髙願寺で引き取り移築復原しました。
建物は、高床式の数寄屋建築で、建具などの造作は細部の意匠が非常に凝っており、
旧宮家の建物として気品を放っています。



北白川宮邸のこれまで
北白川宮は、1870(明治3)年~1947(昭和22)年までの78年間続いた宮家であるが、 この建物は北白川宮家が居住していた港区高輪(現:グランドプリンスホテル新高輪)より、戦後間もない頃に世田谷区玉川4丁目に移築された。移築したのは本山豊實氏で、2300坪の敷地面積に「幽篁堂庭園」を造った。その後、所有者の変遷を繰り返し、最後は20011(平成13)に三井不動産に売却され、庭園内の建物はそれぞれ取り壊しあるいは引き取られ移築されることとなった。それを受けて2001(平成13)年より2002(平成14)年にかけて世田谷区教育委員会で文化財調査が行われた。
『世田谷区 文化財調査報告集12 幽篁堂庭園』
世田谷区教育委員会 平成14年3月 より抜粋



幽篁堂の由来
旧北白川宮邸、数寄屋造りの建物
名称は世田谷にあった時に名付けられていた「幽篁堂(ゆうこうどう)」を踏襲。「幽篁」とは、奥深く静かな竹やぶの意で、王維の詩『竹里館』の題の一節に出てきます。
独坐幽篁裏
弾琴復長嘯
深林人不知
明月来相照
[ 独(り坐す幽篁(ゆうこう)の裏(うち)
琴を弾じて復(ま)た長嘯(ちょうしょう)す
深林人知らず
明月来たって相照(あいて)らす ]
―独り竹やぶに静かに坐って、琴を弾きながら詩歌を詠う。
奥深いこの林の中のわが庵があるなど誰も知らないが、
明月だけはちゃんと訪ね来て照らしてくれる。―


数寄屋造りとは
旧宮家、数寄屋造りの建物
数寄屋造りは、茶室の建築の手法を取り入れた建築様式で、京都の桂離宮の古書院夜、中書院、曼殊院小書院などが有名です。その様式は、柱は角だけでなく皮の付いた丸太や土壁などの意匠を取り入れ、天井も棹縁天井を用いる特徴があります。


さまざまな使い方
庭を眺めてのお茶席、お斎をいただく場所として使っていただけます。広間の周りの畳廊下を舞台に音楽会を開催すことがあります。
移築復原工事の記録
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写真で見る幽篁堂
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