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至心學舍ストーリー

 

SHISHINGAKUSYA Story

至心學舍

「学んで、遊べる」お寺の多目的空間

明治期から大正期に建てられた新潟県柏崎の民家を譲り受け、

2010年に高願寺に移築、『至心學舍』と名付けました。

建物は、11間(けん)×6間の大きさで、

小屋組の繋ぎ梁は長さ10間の松材が4本も使われ、中心部には1尺角の欅の柱が7本立ち、

柱間は2尺丈の差鴨居(さしかもい)で固められています。

このような後世に遺すべき建物が、川崎の新たな地で、

みなさまのホッとできる空間となることが前所有者の願いでもありました。

(1間=180㌢、1尺=30㌢)
「『至心』とは、真実であり阿弥陀如来のお心である」という

親鸞さまのことばから名づけました。

至心學舍は、「仏のさまの智徳に包まれ、学ぶ舎(いえ)」という意味です。

至心學舍ストーリー 至心學舍ができるまで

至心學舍で学んで遊んで

礼拝堂にて葬儀、仏事を行うことができ、座敷ではお斎やお茶席で使われます。また、さまざまな行事・お稽古なども行われています。

築百年の古民家との出会い

暖かく、居心地がよく、どこか懐かしい空間

「うちのお寺に、こんな施設があるといいのに」という門信徒の声から、至心學舍の建築構想ははじまりました。
どんな建物だったら、みんな喜んでくれるのだろうか。暖かく、居心地がよく、どこか懐かしい空間、というイメージが古民家の移築になりました。
縁あって、新潟県柏崎の民家を譲り受けることになりました。明治に建てられた建物で、築100年。雪国の建物なので、梁、柱、差し鴨居が立派です。
「まだまだ使える建物だけれど、大きすぎてもう維持ができない。村長をしていた祖父が建てたもので、潰してしまうのは忍びない。誰か引き取ってくれるひとはいないか」と、当主はずっと探していたそうです。
 
新潟の民家が、川崎の地に移築され、髙願寺の建物として、新たな歴史がはじまろうとしています。

18メートルの梁を陸路で

どうやって川崎まで持って行くか

古民家の物件を探すことになりました。ホール形式の礼拝の空間とまあまあ人が集まれる座敷がある建物というのが、建てたい建物のイメージでした。

現地で最初にこの建物を見たとき、間取りをそのままで使えそうと思いました。設計士さんが描いた間取りは、間取りは変えず、土間が広いので、そこをそのまま礼拝の空間にするというものです。この建物がよいのではないかということは、すぐに決まりました。

 

設計士さんが、建物の傷み具合や構造をすぐに調査してくださってわかったことは、屋根裏に登ってみたら、梁に長さ10間(18㍍)もある材が一本もので使ってあるのです。太さも大人一人寝られる幅があります。聞けば、建てたときに大工さんがそこで昼寝をしていたとか。しかも同等の材が4本も使ってあるということがわかりました。ふつうは、長さが必要であれば、継いであるそうです。

しかし、それをどうやって川崎まで持って行くかが難題でした。

「切って持って行っては、だめですよね」―「なんとか切らずに持ってきてください」―「陸路でだめなら、海路ですかね」というやりとりをしていましたが、やっとそのまま運んでくれる運送会社が見つかり、無事切らずに運ぶことができました。

移築計画さなかの大地震

揺れることで建物を守る構造

移築計画が進んでいくさなかの2007年7月16日の午前10時半頃、中越沖地震がおこりました。そのとき、寺の世話人さんのお宅でお盆のお参り中でした。どこで地震が起きたかわからないなか、ちょうど民家の移築計画の話をしていたところでした。
震源地が、柏崎の近くで、被害がでたということがわかり、すぐに設計士さんと見に行くことにしました。
被害は、下屋(げや)が崩れ、建具はほとんどが飛ばされ、土壁はかなり剥落して落ちていたのです。しかし、母屋は多少のゆがみはあるものの、瓦一枚落ちていませんでした。
当主云、「これで大きな地震を3回経験したけれど、今回が一番揺れた。建物が1メートルは揺れた感じだ」とのこと。
大きな地震を三度経験したこの建物は、多少の被害を受けながらも、立派に建ち続けてくれました。建物が大きく揺れることで、建物そのものを守っている構造が、日本建築なのだということがわかりました。
関東でも大きな地震が来るだろうと言われていますが、耐震も大丈夫ということが証明されました。

至心學舍ストーリー② 写真で振り返る

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